横浜トリエンナーレ他、行ってきました②

本日は横浜トリエンナーレ
まず、新港ピアへ。

広い会場をブースを仕切って使ってました。
真っ白なオープンスペースと暗く間仕切りをした部屋と
出たり入ったりしながら進みました。
こどもたちのグループも結構来てました。



個人的にはマーク・レッキーの
「白い巨大な蛮族の行進」がおもしろかったです。
パブリックアートを利用した映像。
楽しんでいるとも、揶揄しているとも。
音楽と映像の組み合わせがとてもいい。

余談ですが、彼は今年のターナー賞の候補になっているそうで。
ノミネートされている作品は
自分の好きなポップカルチャーについて熱く語っているだけのビデオ。
退屈しきった聴衆の顔入り。
さすが、ターナー賞。訳わからん。



赤レンガ倉庫


せまい通路を利用した
文字アート?がよかったです。
どうも私は文字モノに弱い。




日本郵船海岸通倉庫


人が比較的熱心に見ているなあと思ったら
オノヨーコの作品でした。
ポールマッカーシーとデーモン・マッカーシーの作品には
こども連れに向けて、気分が悪くなるかも、という断り書きが。



こどもに限らず、半数以上は気分が悪くなると・・。



三渓園


既存の観光スポットの中に
作品が混ざりこんでおり、
それに伴い、客層も混ざり合う。
三渓園を見に来た観光客が
偶然現代アートも楽しめる、
あるいは、巻き込まれるという現象が。


中谷芙二子の霧アートは
場所を生かしていていい感じ。


古い家屋(立派!!)の中でのティノセーガルの作品は
ダンスの振り付けというもの。
(体験をさせる状況を作り出すアーティストだそうです。)
「この演出が、この人の作品ということですか?」と
係りの人に聞くと
「そうですね、振り付けが作品ということです」
といいなおされたので、
あくまで振り付けでダンスということらしい。
あれ、ダンスなのか。


それにしても、奥の間に行こうとする客に
スタッフは「現在トリエンナーレ期間中で作品があります。
刺激が強すぎるといわれる方もいらっしゃいますので」と
1人1人にもれなく声かけをしていました。
見たあと、確かに声かけとかないとな、と。(笑)
古い家屋とその作品の組み合わせの妙もよいのだけど
観客の反応が一番おもしろいかも。



内藤礼の作品は
見たそのときより、後からじんわりきました。
彼女の作品を「幽けきもの」と言っている人がいましたが、
本当に繊細な作品で
こちらも雑な心では向かい合えないような気がしてきます。
彼女は、見ている時間、認知されるまでの時間、
というのをすごく大切なことだと思って作っていると
言っているので、もう少し静かな閉じられた空間にあると
違う感覚になったかもとも思います。個人的にですが。



トリエンナーレなど全体を通して思ったのは
スタッフの誰に何を聞いても
ていねいな(自然な、のほうが近いかな)
対応をしてくれるのは
気持ちがよかったということ。
特に黄金町ではそれを感じました。
アーティスト自身とも話ができたり
そういえば、警察の人も”こんにちはー”と言ってたり。
関係者のwelcomeな気持ちや発信しようとする気持ちは
伝わるものだと思います。
アートは作品としても楽しめますが
それをツールに人がつながり、
一人でも多くの人が関係者となり
発信体となることが、エネルギーになるのだと
改めて思いました。



なんか、長いなこの日記・・